第7回「404号室の住人」
※この歌詞解釈は、「404号室の住人」の歌詞と一緒にご覧いただく事で、よりお楽しみいただけます。
【今回のテーマ】
①プロローグ(設定)
②ノックのノクターン
③ぐるりの針の行方を追う者
④エピローグ(ピノッキオ)
①オープニング(設定)
この作品は、「404 not found(404エラー)」という、インターネットで存在しないページにアクセスした際に表示されるエラーコードから着想を得ました。
人は誰しも、家族や友人・先輩や後輩・先生や上司等々・・周りの期待や世間の目・空気や忖度に触れ、それらの人々の希望を叶える為に行動していく内に自分を摩耗し「今、自分は誰の人生を生きているのか」分からない状況に陥り、コミュニティとの付き合い方に悩む時があります。
はたして、自分の居場所はどこにあるのか。「他者が自分を必要としている場所」では息が詰まるし、「自分が居たい場所」だけに留まっていても寂しさがある。他者から必要とされながらも、自分が自分らしく居られる場所、そのクロスしたところが居場所なのではと思います。
②ノックのノクターン
夜想曲と呼ばれるノクターン。そのイメージで、現在なかなか居場所が見つからない、夜中のような暗闇にいる人達に向けて書きました。
時折入るノックの音は、ベートーヴェンの交響曲第5番(運命)にまつわる話を参考にしています。これは、ベートーヴェンの弟子が「先生、冒頭のダダダダーンは何を意味しているのですか」と聞いたところ、「それは運命が扉を叩く音だ」と答えたと言われています。そこから、この「404号室の住人」では、今はまだ存在しない自分の居場所(404号室)から出て、自分の運命の部屋を見つける為にドアを叩いていく(探していく)というイメージで制作していきました。
③ぐるりの針の行方を追う者
今回、歌詞で特筆すべきこととしては、幾つかの造語を作ったことでしょうか。
ぐるりの針・・人生ゲーム、時計、コンパス。それらの円盤を、それぞれの針がカチカチと音を立て物語を進めていく。それと共に、チカチカと消えそうだった命が、また動き始めていく。「マスからマス」は、人生ゲームのマスと人の集団という意味のマスのダブルミーニング。
東雲(しののめ)・・闇から光へと移行する夜明け前に茜色にそまる空を意味しており、東雲夜空はより深い闇からの移行ということを強調している。
閃光(せんこう)・・瞬間的に明るくなる様。閃光花火はそこら中に稲光が落ちている様子を表している。
東雲夜空、閃光花火を通して、「あれだけ荒天で絶望的だった夜が明るく晴れやかになっていく様」を表現している。
E世界・・異世界と良い世界の意味を掛け合わせた言葉。
④エピローグ(ピノッキオ)
私の人生の砂時計は、自分の為に流れているのか、他人の為に流れているのか
イタリアの作家、カルロ・コッローディの児童文学作品「ピノッキオの冒険」のピノッキオのように、人は頑張っているのに様々な邪魔が入ってしまう。
そして心身共に疲れきり、自分の居場所に悩み、人にはBADボタンばかり押してしまう。そんなことをしていても、自分にイイネを押してくれる人はいない。そこでまたBADボタンを押す負の連鎖が続く・・
レールの下に敷く枕木のように、うまくいかなかった昨日の経験があることで、自分という電車が明日へ連れていってくれる。
運命は、待っていてもインターホンを押してやってきてはくれない。
扉を叩いて開いていくことで、自分の居場所を見つけていく。
【参考資料】
第6回「ミトコンドリア・イヴ」
人々は、振り返るために生きている。
この記事は、ピアプロに投稿した歌詞と共にご覧下さい。
【ストーリー設定】
画面の中の初音ミクと画面の外のボカロPの話。「2次元」の平面なキャラクターだった初音ミクも、最近は「3次元」の立体なLIVEを行うようになり、2次元と3次元の区別が益々つかなくなってきた。
そのように環境が変わる中でも、二人三脚で一緒にボカロ曲を作りあげ、思い出を作り上げてきた。思い出というタイムマシーンに乗り、初音ミクとボカロPは今日もあの日に戻ることができる。また、登場人物がボカロPということで、歌詞中には音楽用語が散りばめられている。
【概念設定】
僕たちは、何故お土産を買うのか?何故観光地で写真を撮るのか?
歴史的な経緯はさておき、現在では、物理的にそのものが欲しいから買う(写真を撮る)というよりも、記憶装置としての思い出を買っている(撮っている)のではないだろうか。自宅でシャチホコのマグネットを見れば名古屋を思い出し、オリオンビールの栓抜きを見れば、沖縄を思い出す。 スマホでジンギスカンや海鮮丼の写真を見れば、北海道を思い出す。I love GUAM のTシャツを見れば、海外旅行を思い出す。
そう、お土産は記憶装置としての役割を担う。
昔話をしている時の人間は皆、生き生きしている。一瞬で過去に戻ることができる。
それは「こういう出来事だったから」楽しかったのではなく、「この人とだったから」楽しかったのではないだろうか。
例えば、付き合い始めのカップルであれば、バスに乗るだけでも楽しい。電車に乗るだけでも楽しい。反対に、会社の上司や部活の先輩など、人間関係に悩み、「違う人だったらな」と思うこともある。楽しいことでもその人がいたらつまらなくもなる。
意味のあることをやりたいのか、誰と生きていきたいか。
一緒にやりたい人が見つかれば、自発的に知りたい、調べたい、勉強したいと思い、興味や好意が生まれる。 ケの日の中にもハレな瞬間が生まれる。 もうダメだと思っても、動き出せば物語は終わらない。文法がめちゃめちゃになったとしても、続ければ物語は続いていく。
鉱石は見方によっては石だけど、見方によっては宝石に変わる。石を愛でる。思い出を愛でる。
【語句説明】
①スーベニア・・お土産のこと
②タイムマシーン・・思い出のこと
③オタマジャクシ・・音符のこと
④カエる・・オタマジャクシが 五線譜の海を泳ぎ「カエル」に成長することと
行き詰まったら五線譜の海に「帰る」というダブルミーニング。
⑤和音・・高さが異なる複数のピッチクラスの楽音が同時に響く音のこと。
⑥カデンツ・・コード進行のこと。この楽曲では、人生のルートの意。
⑨短調な世界で長調な物語・・「単調」と「短調」との同音異義語のかけ合わせ。
⑩ミトコンドリア・イヴ・・人類の起源と言われる、人類の共通女系祖先。この楽曲では、「初めての人類」ということで、ストーリー設定上のボカロPが「初めて出会ったボカロ」である初音ミクと共に歴史を作っていくという意。
【歌詞サンプリング】
ユメノオト
by コン(ポタージュP)「バースデーアーチ」
第5回「王子様と時泥棒の星」
【歌詞】
【テーマ】
大事なものは、擬態している。
リサイクルできるのは、物だけじゃない。
自分の生きてきた時間だって、リサイクルできる。
【PV場面解釈】
個性的なファッションの街として知られる原宿。
自分の世界を持つ、自分の星を代表する王様が、女王様が、そこかしこを行き交いすれ違っている。そんな混沌とした中にも魅力の詰まったこの街は、この曲の世界観を表現するのにピッタリである。
【歌詞背景ストーリー】
人生で大事なものを探しに出かけた王子様。色んな星を回り、ある星に辿り着いた。それは、「時間の星」。過ぎていった時間を新しい価値に作り変えてくれる星。そこで、王子さまは「大事なものは、いつも擬態されている」ことに気づく。
過ぎ去った時間は過去だけのものじゃない。過ぎ去った時間は、リサイクルすることができる。過去にゴミ捨て場のゴミのような出来事があったとしても、そこに意味を見出して作り変えれば、過去が価値のある宝物として生まれ変わる。そして王子様は、時間の花の花言葉を探して、今日も旅に出る。
【用語解説】
①箱の羊
心の中の感情を具現化したもの。メィメィはその時々の感情の声。
②15秒間
「今感じている現在は直近15秒間の知覚の集大成である」という研究結果から転じて、この曲では15秒間=現在のこと。
参考URL・・https://gigazine.net/news/20140804-reality-15-seconds-in-the-making/
③笑顔の鈴
星空のこと。
④8分
太陽の光が、太陽の表面から地球の表面に到達するまでの時間。転じて、この曲では現在目の前が真っ暗であったとしても、もう少し耐えれば陽の光が当たるかもしれないという意味。
参考URL・・http://sittoku-zatsugaku.com/light-of-the-sun/
⑤カタバ風
密度の高い空気が、高高度の地点から低高度の地点へと滑降することで起こる風のこと。転じて、この曲では時差の関係で光の届かない時間も、暗闇の中猛烈な向かい風に耐えながらも頂上へ向い登っていこうということ。
参考URL・・http://www.data.jma.go.jp/antarctic/ant_yogo.html
⑥さかさまに飾られた世界
夢を蝕むバクの群れ
大人は建前で生きて、子供は本音で生きる。大人よりも子供の方が本質的なものを知っているのに、大人が子供の夢を奪ってしまう。大人の嘘で飾られた世界。大人達=夢を食べると言われているバクの群れのようだ。
⑦ピラミッド
生まれた時から、人は死(空)へ向かう。どんどんどんどん石を積み上げていって(作品を創り上げていって)、その積み重ねが大きな大きなピラミッドになる。僕達は作品を残して死ぬ。作品の集合体が生きた証になる。遺品になる。大きなピラミッドを作ろう。
⑧86,400秒
24時間を秒数に変換したものである。毎日はピラミッド建設へ向けどうやって1秒1秒を使っていこうかと苦心する日々の連続である。
参考URL・・http://www.b-chan.jp/entry/20130204/1359989221
⑨完全無欠のビビガール、ビビボーイ
物も友達も、スペアも、何でも持っている完璧なお人形のこと。
⑩Tick tack
時間を刻む針の音
⑪うわばみ
何かを飲み込む象徴
⑫心の花
はかないもののたとえ
⑬星が真上に見えていた頃に
宇宙から地球に落ちてきたちょうど1年前のこと
⑭夜空に咲いたバラ
星のこと。転じて、この曲ではバラは大事なものの象徴
⑯どこにもない家
大事なものを入れる箱「心」のこと。
⑰見えない大事なもの
心、時間のこと。
⑱どこの星にも咲いている
星の王子様の中では、バラは、序盤は唯一無二の特別なものであったが、終盤、【実は何本も同じものがあるんだ】と王子様は知り、動揺する。転じて、この曲では、どこにでもある、代わり映えのないもののこと。
⑲意味がある
「人生に無駄なことなんてない」と言う人がいる。しかしながら、実際は「無駄だったな」と思うことは幾らでもある。何が大事なのかと言えば、無駄なことにも意味を見出し、ネタ(糧)として昇華することで初めて、二束三文だった無駄な出来事にも価値が出る。
【参考文献】
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「星の王子様」
ミヒャエル・エンデ 「モモ」
第4回「ミラージュ・ゲンガー」
【古典×アイドル】
桜梅桃李×ソフトクリーム
合わせ鏡のように、似た者同士。
【プロフィール設定】
【歌詞解釈】
ソフトクリームには王道のバニラ味だけではなく、いちごや抹茶、チョコ、マンゴーなど沢山の味がある。
いちごやチョコはバニラになろうとする必要はなく、それよりも大事な事はどこの場所でも(パフェやサンデー、コーンやカップ、コーヒーやコーラ等)活きられるように環境に合わせていくことである。
ステージに上がっていても、ステージを降りても輝いている相手を見て、モヤモヤした気持ちが渦巻いている。例え自分が煌々と光り輝いていなくても、薄らとした光だとしても、その光に救われる人もいる。誰かと戦うのではなく、自分自身を信じて進んでいく。それが、不安にならないおまじない。
【プロット裏話】
プロット会議を行った際に、「次はアイドル曲を作ろう」という話になった。
そこで、アイドル曲の歌詞に出てきそうなものを探した結果、イメージに合うものがソフトクリームであった。ただし、ソフトクリームをそのまま使うだけではつまらないので、何かの比喩として使おうと考えた。
その比喩元を考えていた、 ある日・・
池袋駅前で、同性でも振り返るくらいの絶世の高身長美男子とすれ違った。
その瞬間に、「あ、同じ人間でも違う種族っているんだな。自分の勝ち目がある領域で、生きていかないといけないんだな」と思ったことが、桜梅桃李のメタファー(比喩)としてソフトクリームを使おうと思ったきっかけである。
【用語解説】
①ミラージュ(mirrorage)
鏡(mirror(英))と蜃気楼(mirage(仏))を合わせた造語。
②ゲンガー(ganger)
歩く者(独)の意。
③ミラージュ・ゲンガー
鏡のようにそっくりな2人。自分ではない向こう側の世界の象徴である蜃気楼。相手と比較して落ち込むのではなく、自分の道を歩く者になろうという意味。
④バモ
スペイン語でVamos「頑張れ」「いけ!」という意味。日本ではサッカーやプロ野球などの応援歌の歌詞で使われることが多い。
⑤重ねてた、弾むね未来(みく)
重音テトと初音ミクを歌詞に入れたかった。そのままだとわざとらしいし、意味も繋がらないので少し文字をずらした。
⑥裏の山でぶどう芝生
「羨ましい」、「すっぱいぶどう(イソップ寓話)」、「隣の芝生は青い」を合わせ、嫉妬の強さを表現した。
⑦ビバ
万歳(viva(伊))の意。聞き馴染みがありアイドル曲にも時たま登場する言葉である。
⑧コーシー
誤記ではなく、アイドル曲の歌詞らしい抜け感や可愛さを表現するために「コーヒー」という表記をコーシーという表記にした。
⑨バビモビバモ
バモとビバを合わせた造語で、落ち込んだ時に唱えると楽しくなるおまじない。
⑩蛍のような物憂げな光
この曲では、アイドルのライブなどで振られるサイリウムを想定している。目の前が真っ暗でも、私の為にサイリウムを振ってくれる人たちがいるから頑張れるーという趣旨。
⑧青い鳥・・幸せの青い鳥・・青・・初音ミク
赤い鳥・・不死鳥(フェニックス)・・赤・・重音テト
【参考資料】
古今著聞集 第19巻 第29篇 「草木」より
「あゝ春は櫻梅桃李の花あり、秋は紅蘭紫菊の花あり、皆是れ錦繍の色、酷烈の匂なり。然れども昨開き今落ち、遅速異なると雖も、風に隨い露に任せ、變衰遁れず。有爲を樂しむに似て、無常を觀ず可し。」
劇団ビタミン大使ABC 2010年公演「眠る夢、見る夜」より
「人が人を好きになるのは、共通項かないものねだりだ。」
第3回「ミルククラウン・オン・ソーネチカ」
※この記事は、楽曲の制作者であるユジー様がピアプロで発表されている歌詞を横に並べてご覧ください※
この楽曲の歌詞を読み解く上で、重要なキーワードは3つ。
「わたし」の「罪」「って」。
りぴーとあふたみー
「わたしの罪って」
以下、それぞれのキーワードについてそう感じた理由を述べていく。
◎まず、1つ目のキーワード「わたし」について。
ずばり、わたしとは誰を指しているのか?
歌詞を読みこんでいくと、「わたしだけが知ってる小さな戴冠式」というフレーズがある。また、この曲のタイトルは直訳するとソーネチカのミルククラウン。
そして、ソーネチカとソーニャという名前であるが、これらはソフィアという人物名の愛称である。普段使う愛称としてはソーニャ、更に親密になったりおねだりするような場合にはソーネチカを使う。
以上のことから、「わたし=ソーネチカ=ソーニャ」であると考えられ、この曲は自分自身に語りかけている歌だと推察される。
◎2つ目のキーワード「罪」について
ソーネチカという愛称は、ロシア文学にしばしば登場する。
有名な作品では、ドストエフスキーの「罪と罰」、チェーホフの「ワーニャおじさん」、ウリツカヤの「ソーネチカ」などがある。もしこの曲が何かの作品をモチーフにしたとするなら、この中では小説の内容と歌詞の内容からすると罪と罰が近いのではないか。
罪と罰に登場するソーネチカは、貧しい家の為に身体を売って日銭を稼いでいる女の子。Aという才能も、Bという才能も、Cという才能もない。
「堂に入ったたぬき寝入りでやり過ごして」
「浄・不浄」
「出来損なった愛玩具」
「汚く濁った願望」
この他、マイナスな言葉を何度も使うことによって、悪いとは思いながらも負の連鎖から抜け出せないソーネチカの心情を吐露しているのではないか。
◎3つ目のキーワード「って」について。
歌詞を注視すると、行の終わりに「って」が8回登場することに気づく。
この意味についての私見は以下の通りである。
①文末を合わせることで、リズム感や統一感を出す為
②うまくいかない苛立ちや社会への不満を表現する為
最後に
なぜソーネチカはティアラではなく王冠に憧れたのか?
①クラウンは権威の象徴であり、奴隷のような今の境遇とは正反対の王女になりたいという願望を表す為
②汚れた自分と真っ白いミルクとの対比を表し、ソーネチカの惨めさや弱さを浮き彫りにする為
以上は、あくまでも個人的な見解であることに留意されたし。
第2回「待っててね」
コアノオト/待っててね
こちらの歌詞と一緒にご覧下さい。
Q.この曲を一言で表すと?
A.現代版ロミオとジュリエットが目指したオフトゥン
【歌詞構成】
いつもの文語的な感じから口語的な感じにすることを心がけ、原作のショートショートで登場する女の子が1番のパート、男の子が2番のパートをそれぞれ独白するようなイメージで考えた。間奏以降は、2人が落ち合ってオフトゥンを見つけるまでの様子を綴っている。
【歌詞解釈】
〈1番〉
Aメロは「既読」と「最後」と「最期」にフォーカスを当てたかったので、
他に漢字を使わないようにしてこの3つの語を浮かび上がらせようと試みた。
Bメロの「いくね」の部分は「行くね」としたかったが、どちらかというと漢字的には
「逝くね」の方なので文字を平仮名にしてどちらにでも取れるようにした。
Cメロのオフトゥンが意味するものについてであるが、「人は普段生きていく中で、どんな世界を求めているのか」と漠然と考えると、桃源郷やユートピアとかそんな大それた非現実的なものではなくて、もっと現実的で身近な、ちょっとした温かさを求めているのではないかと。そしてその象徴が、オフトゥンであると。尚、この歌詞で言う「オフトゥン」は、単純に「お布団」という意味ではなく、「身近にある幸せ」という概念である。
サビでは、心のどこかでは、オンラインだろうがオフラインだろうが人は分かり合えないもので、共感できるところも都合の良いところを切り取って分かった振りをしているだけなんだとは気づいてはいたけれども、「ヨソはヨソ、ウチはウチ」と自分に言い聞かせていた。けれども、理想と現実のギャップが広がるにつれ、寂しさが募っていった。
〈2番〉
基本的には1番と同じような構成である。男の子なので割りとドライで、ぶっきらぼうな感じの物言いになっており、少し達観したように「所詮」と言ってみたりしている。
〈間奏後〉
1番のサビと2番のサビがミックスされ、ここで2人が待ち合わせ場所に到着したことが伺える。そして、そこは、ふわふわで何の苦痛もないオフトゥンに包まれた世界だった。最後の「離れてたー」以降は、あ母音を多めに入れて暗い中に明るさを出し、メリーバッドエンドらしさを表現しようとした。
参考にさせていただいたもの
プロット・・ウィリアム・シェイクスピア「ロミオとジュリエット」(坪内逍遥訳)
作詞方法・・さだまさし様「関ジャム 完全燃SHOW」(2016年10月9日放送)
第1回「メリュー」
※この記事は、楽曲の制作者であるナブナ様ご本人がpiaproで発表されている歌詞を横に並べつつご覧ください※
この曲の歌詞を読み解く上で、重要なキーワードは3つ。
「メリュー」と「バス」だと思う「のだ」。
という訳で、まずは「メリュー」について。
この「メリュー」という言葉。いくら調べても、この楽曲以外検索にヒットしない。
ということは、おそらく造語であると解釈するのが妥当であると思われる。
そして造語であるということは、制作者ご本人がどのような意図でこの造語を作ったのかが重要となる。この意図については幾つか説があるものの、「生放送でご本人がメリーバッドエンドのことであると述べられた」というニコニコ大百科のメリューの記事のコメント欄を信じ、メリーバッドエンド説を採用する。
メリーバッドエンドの作品というと、ウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとシンデレラ」、近松門左衛門の「曾根崎心中」、ウィーダの「フランダースの犬」などが挙げられる。
メリーバッドエンドとは、第三者が見るとバッドエンドな結末が、本人達にとっては最善の結末であるという物語である。もし知人や友人が亡くなったら、おそらく通常は「辛い」よりも「悲しい」が先に来る気がする。しかし、これが恋人が亡くなるメリーバッドエンドであれば「悲しい」より「辛い」という言葉が先に出てきてもおかしくない。
また、なぜ「メリーバッドエンド」や「メリバ」といったオーソドックスなタイトルではないのか。ということについては、ありふれた言葉では耳に引っかからなかったり、心に残らなかったり、ひねりがないと面白くないという要素の他に、ありきたりの言葉では検索で上位に上がってこないからという理由も考えられる。
続いて、「バス」について。
バスは何の比喩で、どこへ向かっているのか。
バスというのは、ある地点からある地点へ移動する為のものである。
私は、1番と2番に登場するバス(バス停)は現在と過去を移動する為の場面転換の道具として使われているのではないかと推察する。
1番と2番のバス(バス停)は、どちらかが過去でどちらかが現在であると思われるが、歌詞を見ると正直どちらとも取れる。
①1番のバスが現在で2番のバス停(過去)へ到着する→1番は火葬場に向かう僕、2番はあの日遠くなっていった君を見ていた僕のことを表しているのではないか。
②1番のバスが過去で2番のバス停(現在)へ到着する→1番で火葬場に向かい、2番では次のお盆あるいは何年後かに君を弔う為、この海に灯篭流しをしに来たのではないか。
ちなみに、メリューの投稿文を見ると、「灯籠流しの唄。」とある。このヒントから察するに、上記①と②を統合した③説が浮かび上がってくる。
つまり、あの日君が遠くなっていった海の景色があって、その後君は灰になって、今こうして君を弔う為に灯籠流しをしに海に来ているという情景だ。
なお、1番の歌詞のバスの場面。葬儀場からバスに乗って火葬場に向かう場面だと解釈したのは下記の2つの理由からである。
- 「灰になった」ではなく、「灰になって征く」とあるので、これから灰になることが想像される。
- 「征く」は、「行く」よりも壮大で広大な場所へゆくイメージがある。
そして、2番のバス停。
通常、空には隅っこも無ければ、足がつくこともない。ということは、物理的なものではなく、比喩として使われている。空が映った波打ち際であれば、隅っこにも足がつく。
この歌詞では、1番のバス(火葬場)から2番のバス停(海岸)へタイムスリップすることにより、「君」がどのように征き、その事実に対して僕がどれほどそれを受け止めきれないでいるのかについての感情の重さを表現しているのではないか。
身を「投げた」という部分から、受動的で避けられず(病気や事故等)亡くなったのではなく、能動的に亡くなったのだと受け取れる。
キーワード3つ目は、「のだ」という部分。
頻繁に登場する「○○なのに、○○だったのだ!」部分は何を強調しているのか
ここでは、僕の後悔の強さを表現しているのではないだろうか。
「きっと僕がこうしていれば君は今こうなっていなかったかもしれないのに、僕が君に対して行動をしなかったばかりにこうなってしまっているのだ」と自分を責めているように思える。
通常、同じような言葉を繰り返すのは、リズムを出すためか大事なことだから何回も言いますねのように、作品の中で一番伝えたい部分であるかのどちらかである。歌詞を見る限り、サビ以外でも後悔している節があるので、前者に加え後者の意図もあるのではないだろうか。
その他、上記キーワード以外で気になったもの。
- 「様に」と「ような」という表記の違い。
おそらく、「夕陽」という視覚として見えるものについては「様に」、「耳鳴り」という動作として感じるものに関しては「ような」と使い分けているのではないか。
- 「君」と「僕」の組み合わせ。
文章で「君」と「僕」という言葉が使われる場合、「女性×女性」という組み合わせはあまり想起されない。大抵、「男性×女性」あるいは「女性×男性」という組み合わせで意図されることが多い。もちろん絶対ではない。しかし、「私」と「君」であれば「女性×女性」という組み合わせも考えられるが、「君」と「僕」という表記ではメリーバッドエンドものということを考えても男女の物語であると考えるのがスムーズではないか。
- 1行の歌詞部分の解釈
この作品の歌詞は、通常2行で1ブロックとして進行していく。しかし、時折り1行で登場する歌詞部分がある。正直、この1行部分の解釈が最も難しいが、自分なりに考えてみる。
「たとえばこんな言葉さえー」の1行・・今になってみれば色んな言葉が口から出てくるけれども、あの時は何1つ出てこなかった。あの時君に何か言えていればよかったのに!(思いとどまらせることができたかもしれないのに)
「今でさえ埃をー」の1行・・今だって足がつくこの場所。そしてあの時も足はついていたのに。
「どうせ死ぬくせに」の1行・・人は遅かれ早かれ死んでしまうことは避けられないのに、どうしてこんな感情に苛まれるのか。(その後の「どうせー」の1行は余韻を持たせる為に短くして繰り返したのではないか)
「あぁあ」の1行・・・もう!あの時、そして今!何をすれば、どうすれば!
「僕もきっとー」の1行・・僕だって本当は君と同じく灯籠を送られる側になっていれば良かったのに。
「君がずっとー」の1行・・君は僕を置いて逝ってしまったのだ。
【ストーリー解釈】
「僕」にとって「夕陽が落ちる様に胸が染まる」「心臓が痛い」という部分は、肉体的苦痛というよりも精神的苦痛の象徴。だからこそ、耳鳴りもするし、辛い。ずっとその痛みを引きずっている。「見なよ」というのは、誰に語りかけているのか?おそらく僕が君に語りかけていて、僕が君と一緒にいけたなら、このように「辛い」と思うこともなかった。人は遅かれ早かれ死んでしまうのに、何故こうも辛いのか。それは僕が止められなかったからか、一緒にいけなかったから。
灯籠流しをした後、「僕」はどうなるのだろうか。それは誰にも分からない。しかし、もしメリーバッドエンドなら、「君」と同じ場所にいって再会するのが僕と君にとってのハッピーエンドなのかもしれない。「こうで良かったのに」というのが灯篭のことを指しているのだとすれば、その可能性もない話ではない。
以上が、私の考察である。
この歌詞は、詩的で美しく、それでいてリズミカルで哲学的であり、その奥深さに吸い込まれそうになる。ポエリックスを考える上でとても勉強になった作品である。