ボカシノロポエ

このブログは、ボカロ曲の歌詞について個人的な解釈を発表する場です。Twitter→@poe_rics

第4回「ミラージュ・ゲンガー」

【古典×アイドル】
 桜梅桃李×ソフトクリーム

   合わせ鏡のように、似た者同士。

 

【プロフィール設定】

重音テト・・服飾デザインの専門学校に通う19歳
初音ミク・・美容(エステティック)の専門学校に通う19歳
 
2人の出会いは、小学生の時のダンススクール。
2人はアイドル好きが高じて、週末は地下アイドルとして活動している。

テトは美容(エステティック)の道に進みたかったし、ミクは服飾デザインの道に進みたかったという経緯があり、お互いに尊敬し合う反面、嫉妬もし合っている。
また、テトは踊りが得意な一方、歌は少し苦手で、ミクは歌が得意な一方、踊りは少し苦手である。

 基本的に、お互い相手の苦手な部分が得意。現在自分がしていることはやりたいからというよりは、得意だからやっているという設定。
 

 【歌詞解釈】

ソフトクリームには王道のバニラ味だけではなく、いちごや抹茶、チョコ、マンゴーなど沢山の味がある。
いちごやチョコはバニラになろうとする必要はなく、それよりも大事な事はどこの場所でも(パフェやサンデー、コーンやカップ、コーヒーやコーラ等)活きられるように環境に合わせていくことである。

ステージに上がっていても、ステージを降りても輝いている相手を見て、モヤモヤした気持ちが渦巻いている。例え自分が煌々と光り輝いていなくても、薄らとした光だとしても、その光に救われる人もいる。誰かと戦うのではなく、自分自身を信じて進んでいく。それが、不安にならないおまじない。

 

【プロット裏話】

プロット会議を行った際に、「次はアイドル曲を作ろう」という話になった。
そこで、アイドル曲の歌詞に出てきそうなものを探した結果、イメージに合うものがソフトクリームであった。ただし、ソフトクリームをそのまま使うだけではつまらないので、何かの比喩として使おうと考えた。

その比喩元を考えていた、 ある日・・

池袋駅前で、同性でも振り返るくらいの絶世の高身長美男子とすれ違った。
その瞬間に、「あ、同じ人間でも違う種族っているんだな。自分の勝ち目がある領域で、生きていかないといけないんだな」と思ったことが、桜梅桃李のメタファー(比喩)としてソフトクリームを使おうと思ったきっかけである。

 

【用語解説】

 ①ミラージュ(mirrorage)
 鏡(mirror(英))と蜃気楼(mirage(仏))を合わせた造語。

②ゲンガー(ganger)
 歩く者(独)の意。
③ミラージュ・ゲンガー
 鏡のようにそっくりな2人。自分ではない向こう側の世界の象徴である蜃気楼。相手と比較して落ち込むのではなく、自分の道を歩く者になろうという意味。

バモ
 スペイン語でVamos「頑張れ」「いけ!」という意味。日本ではサッカーやプロ野球などの応援歌の歌詞で使われることが多い。

⑤重ねてた、弾むね未来(みく)
 重音テトと初音ミクを歌詞に入れたかった。そのままだとわざとらしいし、意味も繋がらないので少し文字をずらした。 

⑥裏の山でぶどう芝生
「羨ましい」、「すっぱいぶどう(イソップ寓話)」、「隣の芝生は青い」を合わせ、嫉妬の強さを表現した。
⑦ビバ
 万歳(viva(伊))の意。聞き馴染みがありアイドル曲にも時たま登場する言葉である。 

⑧コーシー
 誤記ではなく、アイドル曲の歌詞らしい抜け感や可愛さを表現するために「コーヒー」という表記をコーシーという表記にした。  

⑨バビモビバモ
 バモとビバを合わせた造語で、落ち込んだ時に唱えると楽しくなるおまじない。 

⑩蛍のような物憂げな光
 この曲では、アイドルのライブなどで振られるサイリウムを想定している。目の前が真っ暗でも、私の為にサイリウムを振ってくれる人たちがいるから頑張れるーという趣旨。

 ⑧青い鳥・・幸せの青い鳥・・青・・初音ミク
 赤い鳥・・不死鳥(フェニックス)・・赤・・重音テト

   

【参考資料】

 古今著聞集 第19巻 第29篇 「草木」より
「あゝ春は櫻梅桃李の花あり、秋は紅蘭紫菊の花あり、皆是れ錦繍の色、酷烈の匂なり。然れども昨開き今落ち、遅速異なると雖も、風に隨い露に任せ、變衰遁れず。有爲を樂しむに似て、無常を觀ず可し。」

劇団ビタミン大使ABC 2010年公演「眠る夢、見る夜」より
「人が人を好きになるのは、共通項かないものねだりだ。」

第3回「ミルククラウン・オン・ソーネチカ」

※この記事は、楽曲の制作者であるユジー様がピアプロで発表されている歌詞を横に並べてご覧ください※

 

この楽曲の歌詞を読み解く上で、重要なキーワードは3つ。

「わたし」の「罪」「って」。

りぴーとあふたみー

 「わたしの罪って」

 

 以下、それぞれのキーワードについてそう感じた理由を述べていく。

 

◎まず、1つ目のキーワード「わたし」について

ずばり、わたしとは誰を指しているのか?

歌詞を読みこんでいくと、「わたしだけが知ってる小さな戴冠式」というフレーズがある。また、この曲のタイトルは直訳するとソーネチカのミルククラウン

 

そして、ソーネチカとソーニャという名前であるが、これらはソフィアという人物名の愛称である。普段使う愛称としてはソーニャ、更に親密になったりおねだりするような場合にはソーネチカを使う。

 

以上のことから、「わたし=ソーネチカ=ソーニャ」であると考えられ、この曲は自分自身に語りかけている歌だと推察される。

 

◎2つ目のキーワード「罪」について

ソーネチカという愛称は、ロシア文学にしばしば登場する。

有名な作品では、ドストエフスキーの「罪と罰」、チェーホフの「ワーニャおじさん」、ウリツカヤの「ソーネチカ」などがある。もしこの曲が何かの作品をモチーフにしたとするなら、この中では小説の内容と歌詞の内容からすると罪と罰が近いのではないか。

 

罪と罰に登場するソーネチカは、貧しい家の為に身体を売って日銭を稼いでいる女の子。Aという才能も、Bという才能も、Cという才能もない。

 

堂に入ったたぬき寝入りでやり過ごして

「浄・不浄」

「出来損なった愛玩具」

「汚く濁った願望」

 

この他、マイナスな言葉を何度も使うことによって、悪いとは思いながらも負の連鎖から抜け出せないソーネチカの心情を吐露しているのではないか。

 

◎3つ目のキーワード「って」について

歌詞を注視すると、行の終わりに「って」が8回登場することに気づく。

 

この意味についての私見は以下の通りである。 

①文末を合わせることで、リズム感や統一感を出す為

②うまくいかない苛立ちや社会への不満を表現する為

 

最後に

なぜソーネチカはティアラではなく王冠に憧れたのか?

①クラウンは権威の象徴であり、奴隷のような今の境遇とは正反対の王女になりたいという願望を表す為

②汚れた自分と真っ白いミルクとの対比を表し、ソーネチカの惨めさや弱さを浮き彫りにする為

 

以上は、あくまでも個人的な見解であることに留意されたし。

 

第2回「待っててね」

コアノオト/待っててね

こちらの歌詞と一緒にご覧下さい。

 

Q.この曲を一言で表すと?

A.現代版ロミオとジュリエットが目指したオフトゥン 

 

【歌詞構成】

いつもの文語的な感じから口語的な感じにすることを心がけ、原作のショートショートで登場する女の子が1番のパート、男の子が2番のパートをそれぞれ独白するようなイメージで考えた。間奏以降は、2人が落ち合ってオフトゥンを見つけるまでの様子を綴っている。

 

【歌詞解釈】

〈1番〉

Aメロは「既読」と「最後」と「最期」にフォーカスを当てたかったので、
他に漢字を使わないようにしてこの3つの語を浮かび上がらせようと試みた。

 

Bメロの「いくね」の部分は「行くね」としたかったが、どちらかというと漢字的には

「逝くね」の方なので文字を平仮名にしてどちらにでも取れるようにした。

 

Cメロのオフトゥンが意味するものについてであるが、「人は普段生きていく中で、どんな世界を求めているのか」と漠然と考えると、桃源郷ユートピアとかそんな大それた非現実的なものではなくて、もっと現実的で身近な、ちょっとした温かさを求めているのではないかと。そしてその象徴が、オフトゥンであると。尚、この歌詞で言う「オフトゥン」は、単純に「お布団」という意味ではなく、「身近にある幸せ」という概念である。

 

サビでは、心のどこかでは、オンラインだろうがオフラインだろうが人は分かり合えないもので、共感できるところも都合の良いところを切り取って分かった振りをしているだけなんだとは気づいてはいたけれども、「ヨソはヨソ、ウチはウチ」と自分に言い聞かせていた。けれども、理想と現実のギャップが広がるにつれ、寂しさが募っていった。

 

〈2番〉

基本的には1番と同じような構成である。男の子なので割りとドライで、ぶっきらぼうな感じの物言いになっており、少し達観したように「所詮」と言ってみたりしている。 

 

〈間奏後〉

1番のサビと2番のサビがミックスされ、ここで2人が待ち合わせ場所に到着したことが伺える。そして、そこは、ふわふわで何の苦痛もないオフトゥンに包まれた世界だった。最後の「離れてたー」以降は、あ母音を多めに入れて暗い中に明るさを出し、メリーバッドエンドらしさを表現しようとした。

 

参考にさせていただいたもの

プロット・・ウィリアム・シェイクスピアロミオとジュリエット」(坪内逍遥訳)

作詞方法・・さだまさし様「関ジャム 完全燃SHOW」(2016年10月9日放送)

 

 

 

 

第1回「メリュー」

この記事は、楽曲の制作者であるナブナ様ご本人がpiaproで発表されている歌詞を横に並べつつご覧ください※

 

この曲の歌詞を読み解く上で、重要なキーワードは3つ。

「メリュー」と「バス」だと思う「のだ」。

 

という訳で、まずは「メリュー」について。

この「メリュー」という言葉。いくら調べても、この楽曲以外検索にヒットしない。

ということは、おそらく造語であると解釈するのが妥当であると思われる。

 

そして造語であるということは、制作者ご本人がどのような意図でこの造語を作ったのかが重要となる。この意図については幾つか説があるものの、「生放送でご本人がメリーバッドエンドのことであると述べられた」というニコニコ大百科のメリューの記事のコメント欄を信じ、メリーバッドエンド説を採用する。

 

 メリーバッドエンドの作品というと、ウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとシンデレラ」、近松門左衛門の「曾根崎心中」、ウィーダの「フランダースの犬」などが挙げられる。

 

 メリーバッドエンドとは、第三者が見るとバッドエンドな結末が、本人達にとっては最善の結末であるという物語である。もし知人や友人が亡くなったら、おそらく通常は「辛い」よりも「悲しい」が先に来る気がする。しかし、これが恋人が亡くなるメリーバッドエンドであれば「悲しい」より「辛い」という言葉が先に出てきてもおかしくない。

 

また、なぜ「メリーバッドエンド」や「メリバ」といったオーソドックスなタイトルではないのか。ということについては、ありふれた言葉では耳に引っかからなかったり、心に残らなかったり、ひねりがないと面白くないという要素の他に、ありきたりの言葉では検索で上位に上がってこないからという理由も考えられる。

 

 

続いて、「バス」について。

バスは何の比喩で、どこへ向かっているのか。

バスというのは、ある地点からある地点へ移動する為のものである。

私は、1番と2番に登場するバス(バス停)は現在と過去を移動する為の場面転換の道具として使われているのではないかと推察する。

 

1番と2番のバス(バス停)は、どちらかが過去でどちらかが現在であると思われるが、歌詞を見ると正直どちらとも取れる。

 ①1番のバスが現在で2番のバス停(過去)へ到着する→1番は火葬場に向かう僕、2番はあの日遠くなっていった君を見ていた僕のことを表しているのではないか。

②1番のバスが過去で2番のバス停(現在)へ到着する→1番で火葬場に向かい、2番では次のお盆あるいは何年後かに君を弔う為、この海に灯篭流しをしに来たのではないか。

 

ちなみに、メリューの投稿文を見ると、「灯籠流しの唄。」とある。このヒントから察するに、上記①と②を統合した③説が浮かび上がってくる。

 

つまり、あの日君が遠くなっていった海の景色があって、その後君は灰になって、今こうして君を弔う為に灯籠流しをしに海に来ているという情景だ。

 

 

 なお、1番の歌詞のバスの場面。葬儀場からバスに乗って火葬場に向かう場面だと解釈したのは下記の2つの理由からである。

  • 「灰になった」ではなく、「灰になって征く」とあるので、これから灰になることが想像される。
  • 「征く」は、「行く」よりも壮大で広大な場所へゆくイメージがある。

 

そして、2番のバス停。
通常、空には隅っこも無ければ、足がつくこともない。ということは、物理的なものではなく、比喩として使われている。空が映った波打ち際であれば、隅っこにも足がつく。

 

この歌詞では、1番のバス(火葬場)から2番のバス停(海岸)へタイムスリップすることにより、「君」がどのように征き、その事実に対して僕がどれほどそれを受け止めきれないでいるのかについての感情の重さを表現しているのではないか。

身を「投げた」という部分から、受動的で避けられず(病気や事故等)亡くなったのではなく、能動的に亡くなったのだと受け取れる。

 

 

 キーワード3つ目は、「のだ」という部分。

頻繁に登場する「○○なのに、○○だったのだ!」部分は何を強調しているのか

ここでは、僕の後悔の強さを表現しているのではないだろうか。

「きっと僕がこうしていれば君は今こうなっていなかったかもしれないのに、僕が君に対して行動をしなかったばかりにこうなってしまっているのだ」と自分を責めているように思える。

 

通常、同じような言葉を繰り返すのは、リズムを出すため大事なことだから何回も言いますねのように、作品の中で一番伝えたい部分であるかのどちらかである。歌詞を見る限り、サビ以外でも後悔している節があるので、前者に加え後者の意図もあるのではないだろうか。

 

 

その他、上記キーワード以外で気になったもの。

 

  • 「様に」と「ような」という表記の違い。

おそらく、「夕陽」という視覚として見えるものについては「様に」、「耳鳴り」という動作として感じるものに関しては「ような」と使い分けているのではないか。

 

  • 「君」と「僕」の組み合わせ。

文章で「君」と「僕」という言葉が使われる場合、「女性×女性」という組み合わせはあまり想起されない。大抵、「男性×女性」あるいは「女性×男性」という組み合わせで意図されることが多い。もちろん絶対ではない。しかし、「私」と「君」であれば「女性×女性」という組み合わせも考えられるが、「君」と「僕」という表記ではメリーバッドエンドものということを考えても男女の物語であると考えるのがスムーズではないか。

 

  • 1行の歌詞部分の解釈

 この作品の歌詞は、通常2行で1ブロックとして進行していく。しかし、時折り1行で登場する歌詞部分がある。正直、この1行部分の解釈が最も難しいが、自分なりに考えてみる。

 

たとえばこんな言葉さえーの1行・・今になってみれば色んな言葉が口から出てくるけれども、あの時は何1つ出てこなかった。あの時君に何か言えていればよかったのに!(思いとどまらせることができたかもしれないのに)

今でさえ埃をー」の1行・・今だって足がつくこの場所。そしてあの時も足はついていたのに。

どうせ死ぬくせに」の1行・・人は遅かれ早かれ死んでしまうことは避けられないのに、どうしてこんな感情に苛まれるのか。(その後の「どうせー」の1行は余韻を持たせる為に短くして繰り返したのではないか)

あぁあ」の1行・・・もう!あの時、そして今!何をすれば、どうすれば!

僕もきっとー」の1行・・僕だって本当は君と同じく灯籠を送られる側になっていれば良かったのに。

君がずっとー」の1行・・君は僕を置いて逝ってしまったのだ。

 

 

【ストーリー解釈】

「僕」にとって「夕陽が落ちる様に胸が染まる」「心臓が痛い」という部分は、肉体的苦痛というよりも精神的苦痛の象徴。だからこそ、耳鳴りもするし、辛い。ずっとその痛みを引きずっている。「見なよ」というのは、誰に語りかけているのか?おそらく僕が君に語りかけていて、僕が君と一緒にいけたなら、このように「辛い」と思うこともなかった。人は遅かれ早かれ死んでしまうのに、何故こうも辛いのか。それは僕が止められなかったからか、一緒にいけなかったから。

 

灯籠流しをした後、「僕」はどうなるのだろうか。それは誰にも分からない。しかし、もしメリーバッドエンドなら、「君」と同じ場所にいって再会するのが僕と君にとってのハッピーエンドなのかもしれない。「こうで良かったのに」というのが灯篭のことを指しているのだとすれば、その可能性もない話ではない。

 

以上が、私の考察である。

この歌詞は、詩的で美しく、それでいてリズミカルで哲学的であり、その奥深さに吸い込まれそうになる。ポエリックスを考える上でとても勉強になった作品である。

 

 

 

注意書き

このブログは、文章を書く事を趣味とする私が、「よりよい表現方法に出会う為」行うものです。以下、注意書きをご覧いただき次回以降の歌詞解釈へお進みください。

 

1.歌詞について

制作者ご本人が発表している歌詞(piaproやブログ、HP等)をご覧ください。ご本人が歌詞を発表しているサイトがなければ、歌詞サイトの歌詞をご覧ください。

何故そのようなことをお願いするのか。歌詞には、制作者の方が伝えたい行間、空気感、区切りがあるからです。本来は2行で表現しているものが、歌詞サイトでは1行にされている場合もあります。これでは、受ける印象も変わってしまうのです。

なお、このブログでは歌詞の全てを載せることもURLを載せることもありません。文章は能動的に見てもらえないと進まない表現方法だからです。知りたいと思って見ていただきたいからです。

 

2.解釈文について

歌詞の後に歌詞解釈を入れることはしません。流れや余韻がぶった切られてしまうのが嫌なのと、別の世界の話を無理やり1つにしてしまうと頭に入ってこなくなるからです。是非歌詞と歌詞解釈は横に並べながらご覧ください。

 

3.歌詞解釈の見解について

この歌詞解釈は、個人の見解に基づく妄想です。誰かの解釈を正解・不正解と言うものでもなく、何か政治的な意図をもってするものでもありません。表現や表記に関して社会的に問題があるものを除き、ご指摘には同意しかねる場合があります。

 

4.メディアミックスについて

PVやMV、イラスト、インスト、踊ってみたなどの表現方法を見てヒントを探ることは基本的にいたしません。あくまでも、私が歌詞を見てその文脈から解釈をするものです。なお、どうしても文章だけでは分かりかねる箇所がある場合には制作者の方のコメント等から探ることもあります。

 

5.なぜ写経なのか

あなたは、予想と結果に関して「思ったことと違った」という経験はないでしょうか。ずばりここがこのブログの根幹部分で、歌詞を見ただけでは気付かなかったことが、実際に手を動かして書いてみることで、どのような流れでどのように意図されて進んでいったのかが分かる場合があります。歌詞のバックグラウンドを考え、歌詞の本質に迫ることで、理想の表現方法への真髄に迫ることができるのです。